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ニューズレター(第13号)

サンフランンシスコ法曹関係機関等見学記

日紫喜 幸子(大宮法科大学院大学昼間主コース1年)

 

はじめに

去る2月20~2月26日、5泊7日の日程で、サンフランシスコ及びその周辺にある、ロースクールや法曹機関を見学して参りました。

本学の建学の柱には実務教育が挙げられ、臨床法学教育、即ちリーガル・クリニック・プログラムについても、希望者は全員受講できるという非常に恵まれた環境にあります。しかしながら、司法試験の合格率の低さ等から、入学時のモーチベーションはどこかに仕舞い込んで、試験合格のために日々精進しなければならないというのもまた現実であります。

 

私自身一年を終えて一体何をやってきたのだろうという反省と空虚な気持ちの入り混じった中にいました。そんなとき、電子掲示板(TKC)で、本学がすすめてきたリーガル・クリニックの現場を体験する機会を企画する人間を募集していることを知り、応募したのが、本自主研修旅行のきっかけとなりました。

 

参加者と主な見学先は次の通りです。

<参加者>

石田こずえ(本学昼間主一年)と

その家族(石田邦子:東京大学大学院総合文化研究科修士課程2年)
高橋純子(本学昼間主一年)
日紫喜幸子(同)
松浦千誉(本学非常勤講師:家族法担当)

<主な見学先>

  • サンタクララ・ロースクール
  • カリフォルニア大学ヘイスティングス校
  • O'Melveny & Myers LLP(大手法律事務所)http://www.omm.com/
  • 公設弁護士事務所および裁判所

実地見学の効果は抜群でした。言い古された言葉ではありますが、やはり『百聞は一見に如かず』です。弁護士開館で毎年行われるリーガル・クリニックのシンポジウムを何回も聴きに行くよりもはるかに多くのこと、臨床法学教育についての本質を掴むとともに、自分がなりたい法曹像への理想を新たにして帰ってきたような気がいたします。

以下に参加者の感想を紹介します。これを読んで、次年度以降一人でも多くの方がこのような企画を立ち上げていただけることになればと思います。

 

サンタクララ・ロースクール:少人数教育とリーガル・クリニック

石田こずえ(大宮法科大学院大学昼間主コース1年)

 

2月20日にサンフランシスコに到着した一行の研修は2月21日のサンタクララ・ロースクールでスタートしました。サンタクララへは、宿泊地のサンフランシスコから南に位置する都市サン・ノゼを結ぶカル・トレインで約1時間かかります。

 

①ロースクールについて 

サンタクララ駅から歩いてすぐの距離にあるサンタクララ大学は、カリフォルニア州で最も古い大学で、1851年に設立されました。学生数は学部と大 学院を合わせて約8000人で、ロースクールができたのは1912年です。現在のロースクールの学生数は968名です。敷地面積は0.4km2、校舎はバ ラやヤシの木を配した美しい庭に囲まれています。

サンタクララ大学はアメリカの半導体産業の中心 地、シリコンバレーの中にあるため、科学技術と知的財産権に強い教授陣を誇り、大宮と同じく、理系の学生も多くロースクールに来ています。また、日本を含 む世界13カ国に教員を派遣してサマー・スクールを開催するなど、国際交流にも力を入れています。

 

②クリニックの活動状況

午前中は大学のメインキャンパス から約4km離れたキャサリン・アンド・アレキサンダー・コミュニティ・ロー・センターの活動状況を聞きました。サンタクララに隣接した東サン・ノゼには メキシコや中央アメリカから合衆国に移住してきた労働者が多く、低所得のコミュニティがあり、労働に対して適切な対価が支払われていない労働者も存在しま した。そうした地域の実情を見て、なんとか自分たちの力で法律的な助けをしたい、と考えたロースクールの学生たちの要望から、1993年に無料法律相談所 であるコミュニティ・ロー・センターが生まれました。こうした起源を持つセンターは、教育的な訓練の場として生まれた、多くの他のロースクールに併設され たクリニックとは異なる存在意義をもっています。

 

センターは、弁護士を利用したことのない低所得者層に自らの存在を知ってもらうため、英語などを学ぶことのできる成人のコミュニティ・センターで勉強して いる人たちに、無料の法律相談の機会があることを紹介しています。この地域で法律相談をしたい依頼者は、まず電話で予約をします。依頼者が来ると、クリ ニックを履修している学生が面談を行い、学生は弁護士の助言を受けて、再び依頼者と面談する、というプロセスで、訴訟に至ると弁護士が依頼者を代表します が、訴訟に至らないことも多いようです。学生は書類のドラフト作成も行います。センターでは、主に移民問題や労働問題、DV(ドメスティック・バイオレン ス)、消費者問題等に取り組んでいます。

 

③授業参観

センター見学の後、ディーンのポールデン先生 が大学内の教職員の食堂で一行と昼食をともにしてくださいました。ディーンと、大宮法科大学院は弁護士会が作ったロースクールであること、日本とカリフォ ルニア州における司法試験の合格率の違い等についても話しました。昼食後は大学内の書店に行ってみましたが、法律書の品揃えは豊富でした。

引き続き、午後2:30~3:45は憲法、国際取引法、不法行為法の授業をそれぞれの関心に合わせて分かれて受講しました。

 

憲法では合衆国憲法修正第一条の言論の自由に加えられた制限の判例に見る歴史的考察が行われていました。このアンチェッタ教授による憲法のクラスで は、前もってその日の発表者が決められていて、判例の要旨などを皆に説明するとのことです。そのために、発言者の説明はわかりやすく良くまとまっていまし た。そうして、一学期のうちには皆に発表の機会が回るようにしているそうです。そうしないと、発言しないで終わってしまう生徒も出るからだそうです。出席 はとらないのですが、必修なので、欠席すると後で自分が困ることになる、と先生はおっしゃっていました。授業は75分間で、憲法は週二回あり、一学期に全 部で28回講義があるとのことでした。

国際取引法では、信用状に瑕疵があった場合に、どのように企業が保護されるのかについて学説および処理方法の紹介がありました。不法行為法では製造物責任法について、製造上、設計上、販売上の瑕疵について、また損害の予測について論じられていました。

4: 00~5:15は家族法を受講し、離婚の際の財産分与について聴きました。授業で議論された判例は、1993年7月30日にマサチューセッツ州の最高裁判 所で判決のあった、de Castro v. de Castroで、夫の会社の株式を離婚の際に婚姻財産の分配に含める、というものでした。

この家族法の授業は発言や質問をする学生が4~5人に集中していました。今日は、学生の質問への返答の時間がかかったため、実は先生が予定していた部分には入ることができずに終業時間が来てしまったようです。

 

④学生の様子

どの授業でも、本学と同じく、多くの学生が ラップトップ・コンピュータでノートをとっていました。期末試練も、自分のラップトップを持ち込んで受けることができますが、通信をしたり、ワードプロ セッサ以外の機能を使ったりしないように、これらの機能が働かなくするソフトウェアを使用するそうです。

勉強のサポートに関しては、サンタクララは一クラスの人数が25人から80人と小さく、一人ひとりに先生方の目が届きやすいという特徴があります。勉強で 困ると、先生に授業のアウトラインを説明してもらったり、試験答案の書き方についてのワークショップ等の補講を受けたりするそうです。

最後になりましたが、今回のクリニックとロースクール訪問を可能にしてくださった宮澤先生をはじめ、大宮の先生方、そして一行の聴講を快く受け入れてくだ さったサンタクララ・ロースクールの先生方に心からお礼を申し上げます。授業を見て、日米のロースクールの様子はそれほど違わない、という印象を受けた研 修一

日目でした。

サンフランシスコ研修   サンフランシスコ研修

サンタクララ・ロースクールキャサリン・アンド・アレクサンダー・コミュニテイー・ローセンターにて所長のANCHETA教授と

 

サンフランシスコ研修雑感

 高橋 純子(大宮法科大学院大学昼間主コース1年)

 

①参加の動機

アメリカに対する印象は良くなかった。 9.11事件以降、世界の警察を自認して行っている軍事行動を見ると嫌悪感が募ったし、町の治安や有色人種差別に関する話を報道や友人から聞くたびになん と怖いところであろうかと思った。自主的にこの国に足を踏み入れることは生涯無いと思っていた。この機会が無ければおそらく印象は変わらず、一生アメリカ 大陸に上陸することは無かっただろう。それでも申し込みの締切り15分前に研修旅行への参加を決めたのは、この国の「公設弁護人事務所」という制度を見た かったからだ。

この一年法律と関わり、法の理想と現実社会とのギャップを再認識して、自分が何を目 標にするべきなのか曖昧になり始めていた。法曹も職業である以上、理想だけで収入が増えるわけはないし、理想で判例や学説が覚えられるわけでもない。現実 を知れば知るほど、法による正義と公平の実現、という言葉を吐くのは恥ずかしいような気がする。しかし理想像が描けない状態での勉強は私にとって苦痛なの である。

自分が法律を使って何をしたいのか、どうなりたいのか。その糸口を、様々な価値観が混在する社会で社会正義を実現しようとしている人たちから見つけたい。それが今回の研修旅行に参加した最大の動機である。

 

②サンフランシスコ公設弁護人事務所

刑事事件で訴追されながら、低所得等を理由に弁護人をつけることができない人たちのために刑事弁護を提供する公的機関が「公設弁護人制度(Public Defender System)」である。これはミランダ・ルールにより被告人に保障されている弁護人選任権をすべての人に対して実現するための制度であり、公設弁護人事 務所に雇用されるスタッフや弁護士は、公務員として州から給与の支払を受ける。日本の当番弁護士制度、国選弁護人制度を拡張したようなイメージであろう か。特に人種、所得等に起因する不当な差別を受けるなど、法の平等が実現されていない人々に対してのケアが重要視されているように感じられた。また、ここ では弁護活動以外にも、過去の犯罪歴をクリアするプログラムや麻薬依存者の社会復帰を促進するプロジェクトなどを主導し、罪を犯してしまった人々の社会復 帰に尽力している。http://www.sfgov.org/site/pd_index.asp?id=141

 

事務所長は市長と同様市民の選挙によって選任されるが、これはカリフォルニア州ではサンフランシスコだけの制度であるそうだ(通常は市長によって選任される)。したがって市民の関心、期待もきわめて高い。
事務所長の選挙に関する話は、サンフランシスコ市民の公設弁護人に対する関心の高さを象徴する印象的なものだった。有力政治家の血縁である弁護士と、長年 低所得者向けの刑事弁護を行ってきた弁護士とが争った選挙では、前者が政治的コネクションと豊富な財力を使って大々的な選挙キャンペーンを打ったのに対 し、後者は手弁当の支持者とともに選挙活動を行ったという。露出度合では明らかに前者が勝っていたが、市民が選んだのは金と権力を使って所長になろうとし ている前者ではなく、それまで市民のために尽くしてきた後者であった。それが現在の所長であり、彼は市民の期待に応えるべく公的弁護以外にも前述のような 様々な活動を行っている。また、彼とともに働くスタッフ、弁護士もこの事務所で彼とともにそのような活動ができることを誇りに思っているのだそうだ。
法システムを富裕層だけのものにせず、あらゆる人のために活用し、正義と公平を実現するために闘う法曹が公設弁護人であるように思われた。その印象はス タッフや公設弁護人に会うことでますます強まった。実際、公設弁護人事務所のどの人もとてもフレンドリーで、熱烈かつ楽しそうに働いているのが印象的だっ た。これはカリフォルニア大学ヘイスティングス校(UC Hastings Collage of the Law)で刑事クリニックを履修し、公設弁護人事務所で働いている学生も、最終口頭弁論で被告代理人として弁論を行った公設弁護人も、所長のアダチ氏もみ な同様であった。大規模ローファームに比すれば確かに収入は低く(初任給で年収800万円位とのこと)刑事弁護自体もタフな仕事ではあるが、この事務所で 働けることは自分にとって喜びであり、とてもやりがいがあることだ、という。スマートな笑顔と、こちらのつたない英語にも嫌な顔をせず丁寧に説明してくれ る姿はたいへんかっこよかった。賢しらに振舞って偉そうにするのではなく、持つ能力、あるいは努力の末に獲得した能力を気負いなく使い、誰かの役に立つこ とを誇りに思う姿勢をみなが共通して持っている。これがエリートというものか!

自分の力を信じる道 に注ぎ込むことが喜びでもあり誇りでもある、そういう働き方ができるのだ。変に気負わず、やりたいと思う方向に自信を持って熱くなることは、別に恥ずかし いことではないのだ。目を開かされたような思いがした。私も熱意と余裕を持って働ける法曹になりたい。そのための明確な像は、自分の中に結ぶことができた ようだ。

 

③街の感じ
最後にサンフランシスコの街を見て感じたことを少し。
とにかく坂が多いことは聞いていたとおりだったが、歩き回ったところみなみな親切でびっくりした。カフェでひとりご飯をしても大丈夫。危ない目には一度も 会わなかったが、カフェのお姉さんによるとこの町が特別安全なのだそうだ。それにしてもそれまで抱いていた「アメリカ=危険」のイメージを覆すのには十分 であった。やはり何事も先入観や聞きかじりで一面を知り、それで全体を判断するのはよくない。自分の目で見て足で歩いて感じたことを第一に信じることにし ようと思う。
ちなみに、アメリカの学生もBAR(州法曹資格試験)に対して大変神経質になっている のは日本と同じだそうだ。ロースクールの本屋では「簡単にわかる憲法」などの参考書や論証集、論証カードのようなもの、試験の予想問題集等が多く売られて いた。その代わり4軒ほど見て回った街の本屋では、BAR関係の本を見ることはほとんど無かった。完全に棲み分けがされているのであろう。面白い。

この機会を与えてくださった先生方、親切にケアしてくださったアメリカの皆様(本当は英語で書かなければなりませんが)、お世話になりっぱなしだった同行の皆様にこの場を借りて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。もう少しがんばれそうです。

  サンフランシスコ研修

 公設弁護人事務所にて、BISHARAT教授の説明を聞く一行
 

 番外:サンフランシスコ研修旅行に参加して

 石田邦子(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程2年)

 

まずは、法律の勉強は学部一・二年の頃の教養科目で履修した程度の全くの門外漢であるにも関わらず、今回研修旅行に同行することを許可してくださった宮澤先生にお礼を申し上げます。

今回の研修で特に印象的だったのは研修最後の日に訪れた公設弁護人事務所と陪審裁判です。
私が日本で公設弁護人に相当すると思われる国選弁護人という言葉を初めて知ったのはオウム真理教の教祖・麻原彰晃の弁護を担当する弁護士が話題になったと きですが、そのときにいかに国選弁護人のなり手が少ないかということも報道されていたように思います。それは待遇の悪さというものが主な原因とされていた ように記憶しています。その時は「そういうものなのだろう」と単純に理解していたのですが、今回、アメリカ(少なくともカリフォルニア)の公設弁護人の待 遇は他の弁護士業と比べても決して悪くないというお話を伺いました。日本でも、優秀な弁護士にとっても魅力的に映るよう国選弁護人の待遇が改善されて、裁 判費用の出せない人がそれだけの理由で裁判上不利になることがなくなると良いと思います。

 

陪審裁判は見た後にいろいろ考えるきっかけになったので傍聴することができて本当に良かったと思います。私は日本で一度だけ刑事裁判の傍聴に行ったことがありますが、その時の雰囲気と全く違うアメリカの裁判の姿にのけぞるほど驚きました。
まず、裁判官の様子が異なっていました。日本では裁判官は表情を見せないというのがあるべき姿だと考えられていると思いますが、海を渡れば裁判官の様相も 変わります。日本の裁判官に慣れている身としては、裁判官の見せる表情が陪審員に何らかの影響をもたらしはしないかと思いましたが、アメリカでは、きっと その方が自然で、受け入れやすいものなのでしょう。
そして、検察と弁護人の弁論の様子があまりにも映画やテレビで見たアメリカの法廷と同じなので驚きました。私たちは検察と弁護人の最終弁論を見たのです が、そのプレゼンテーションにおける身振り手振りの大げさ具合、まるで台詞として仕組んであるかのようなスピーチの間の置き方、全てが映画のようでした。 映画だからわざと大げさにやっているのではなく、もともとそういうものなんだなということが分かりました。
その様子を見ていると、陪審裁判というのはまるでプレゼンテーション合戦であるかのような印象を受けました。もちろん、証拠の強さと論理性というものが陪 審員の下す決断の最大の要素であることは間違いないでしょう。しかし、手元にある材料が仮に弱いものであっても、詐欺師のように(ここは褒め言葉です)巧 みに説得することができれば、勝つことは可能であるように思います。
また、このようなプレゼンテーションにおいて常に注意せねばならないのは、陪審員に分かりやすく伝わるようにと使われるパワーポイントは、箇条書きという 形態によって細かな点が切り捨てられてしまう可能性があるということです。更に、既に何かに書かれた、きれいなまとめの形で呈示されると「そういうもの か」と思ってしまうことがあるかもしれません。今回の裁判では残念ながら検察側のパワーポイントがよく見えない位置に座っていたので、それがどのように なっていたのかは分かりませんが、弁護側のそれは、”Mr. Ray(被告人) is NOT guilty.”という文を最初、途中、最後にバンッと出しているのが非常に印象的で、それだけで納得させられてしまうような引き締め効果がありました。 弁論を聞いた後の陪審員が議論すべきは被告人が有罪か無罪か、そこに至る論理であるのに、結論
を何度も呈示することは陪審員を一種の思考停止状態に持っていくことを狙った手段と言えなくもないでしょう。

 

遅ればせながら帰国してから読んだ陪審制に関するいくつかの文献によれば、アメリカの陪審裁判で争われる事例は被告人が有罪と認めなかった場合に限られる ということなので、おそらく、今回私たちが見た事例のように、被告人が当該事件の犯人であるか、犯人ではないかという事実の部分が争点となるのでしょう。 この場合、事実は一つであって、それに関しては(当事者以外はもはや知ることができないものの、)争いようがありません。民事裁判のように立場によって見 方が変わるというタイプではプレゼンテーションによる説得は意味のあるものですが、刑事裁判の有罪・無罪を争う場合においては、プレゼンテーションによっ て、言葉の巧みさで誤った事実が認定されることにはならないかという危機感を私は強く抱きました。陪審裁判は無罪率が高いということですが、それが冤罪を 減らしたという正の貢献だけではない可能性があることは留意する必要があります。
もちろん、司法の素人ではあっても、12人が集まって議論をした上で結論を出す訳ですから杞憂だと良いのですが。しかし、そうは言ってもプレゼンテーショ ンが下手であるよりはうまい方が良いだろうと思うので、なるほど論理学と修辞学は時代が変わっても永遠に必須科目なのだなと実感しました。

 

むすび 

カリフォルニア大学ヘイスティングス校(UC Hastings Collage of the Law)で法曹倫理に関する授業を受けたときのことでした。アメリカのように人種も価値観も多様な国においては、何が公平なのか決めることは最も難しいこ とです。自らの生れや育ちによっていつの間にか植え付けられている偏見を取り除くための教育を、討論を通じて徹底的に行っているのがとても印象に残りまし た。

日本においても裁判員制度が立ち上がります。こういった教育は今後日本においても必要になってくるのではないかと思いました。
リーガル・クリニックは単なる職場体験やOJTではありません。リベラルな教育機関でなければできない教育カリキュラムの一つということができるでしょ う。特にサンタクララ・ロースクールに見られるような地域の住民に資するクリニックというのは、教育機関であるからこそできることとも言えると思います。 また、大手渉外事務所のようなところへ就職しても、プロ・ボノ活動に積極的に参加する方が多く、事務所側もポイント制等のシステムでこのような活動をバッ クアップしています。このように、社会貢献への意識が浸透し、根付いている背景には、学生時代に臨床法学教育が徹底して行われることが大きく寄与している のではないかと感じられました。

最後に今回の研修の機会を与えてくださいました、宮澤先生、および、現地で厚遇してくださいました関係者の皆様に御礼を申し上げ、結びといたします。

  サンフランシスコ研修

 カリフォルニア大学ヘイスティングス校にて BISHARAT教授による法曹倫理授業の一コマ
 

 日紫喜 幸子

 

 

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